何に使うのかわからない薬

研修医 先生、どうしてここでラクリッドを使うのですか?

ICUスタッフ ラクだから。

ラクリッドの使いかたの説明としては、これ以上に適切な説明を知らない。

特にICUに入ると、ミラクリッド、フサン、FOY、FFPステロイド免疫グロブリンといった、普段の病棟業務ではあまり目にすることも無い薬剤が大量に投与される。

もちろん、ここの薬剤には「これでないと」という使い方をされるケースもあるが、たいていの場合、こうした薬をどういった患者さんに使うのか、誰にも明確な基準を説明できないことが多い。

ICUを担当するのは集中治療医。集中治療医にはリアリストが多いので、理論的な効果が期待できても、効果が体感できない薬は使わない。

膵炎にFOY、敗血症に少量ステロイドあたりまではまだまだ理論と実践とが一致しているのだが、腎不全にミラクリッド、敗血症にフサン、わけのわからないショックにとりあえずガンマグロブリン、ARDS急性期にフサンやミラクリッドあたりになると、話はかなりあやしくなってくる。

とりあえず、たしかに「効いている」感触めいたものはある。しかし何がどう効果が出ているのか、どの基準で薬を始め、どうなったら薬を中止してもいいのか、明確な正解は誰も知らない。

例えば循環器の領域なら、t-PAをどういった患者さんに用いるべきなのか、どういった人には禁忌なのかといった問いには明確な解答がある。だが、そうしたガイドラインを作るのに投入された患者さんの数は3万人以上。病名も心筋梗塞1種類のみ。

ICUに入室してくる患者さんの病名は様々で、問題が一つですむ人などほとんどいない。数万人単位の症例を検討することなど夢のまた夢。この世界では、いわゆるEBMに相当する思考回路は例外が多すぎて使い物にならない。逸話的な症例報告の集積、自分の経験の積み重ねをもとに、1例1例手探りでやっていくしかない。

このあたりがEBMでゴリゴリに理論武装した内科医と、集中治療医がしばしば大喧嘩になる原因だと思うのだが、そもそも「効いた、効かない」の判断の基準が違うのだから当たり前だ。

ある治療手段が効果が無い場合、「EBMに乗っからない患者が悪い」とあきらめるのがEBMを信仰する医者、何も考えずに次の治療手段を始める(考えるわけではないのがポイント)のが集中治療医だ。

EBM野郎が「EBMの神様が効果なしと決めたんだから、治療は撤退」と宣言しようとするまさにそのとき、集中治療医はもう次の「エビデンスの無い」薬を落とし始めている。ICUの医師には、なぜか武闘派が多い。「余計なことするな!」とEBM屋が気色ばんでも、集中治療医のほうが圧倒的にフィジカルが強い。お互いの立場の違いは健全な議論に発展することは無く、「あのICUに入ると殺される」という陰口のみが跋扈する。

ラクリッドやフサン、FOYや免疫グロブリンといった薬剤は、こうした立場の違う医師同士の板ばさみにあい、今ひとつ立ち位置がはっきりしない。こいつらは本当に「効く」薬なのか、それとも単なる高価なだけの「水」なのか。

個人的には、以前はこうした薬剤は意地でも使わなかったのだが、病院を移ってからはしばしば用いるようになっている。

市中病院->大学病院の雰囲気の変化、個人プレーが可能な市中病院と、様々な医師の意見の総意でないと治療方針の決まらない大学病院との違い、FOYを使わなかったということで敗訴になった医療訴訟などがあり、こうした薬剤の「社会的な」適応範囲はこの数年でかなり広がった。

自分の中では、こうした薬剤は、「患者の時間を止める」作用を期待して使うものと理解している。

患者の問題がショックであろうが、敗血症であろうが、DICであろうが、大量のステロイドなり、ミラクリッドなりをとりあえず落としておくと、だいたい15分ぐらいは病気の進行と、体の反応(有害/無害を問わない)とを止めることができる。

この15分を維持するのに必要なコストは莫大で、たとえば免疫グロブリンを大量に使おうものなら給料数ヶ月分が吹っ飛ぶ。薬を使うタイミングもシビアで、問題が生じたごく初期でないとこうした薬は仕事が出来ない。使おうかどうしようかと逡巡している間にも、これら薬剤が有効に効く時間は終わりに近づいていく。

こうした薬の効果は一瞬で、その時間を過ぎれば問題は振り出しに戻るだけ。そういう意味ではやはり、何の意味も無い薬ではある。だが、その時間に何かの価値を見出せるなら、使う価値があるかもしれない。

15分間あれば結構いろいろなことができる。侵襲的な検査を行う、ICUを出て、CTやMRIを撮影しに行く、自分よりももっと優秀なスタッフをコールする。

要は、得られた時間を有効に使う作戦を立てられるかどうかだ。