遺伝子治療の未来はどっちだ

遺伝子治療が実用化するということは、近い将来先生方の仕事の大半はなくなるということです。
たとえば糖尿病や喘息の症状を訴えた人が先生方の外来に来たとする。
先生方のやることは2つ。われわれの元に電話して、必要な遺伝子を作ってもらうこと、そしてそれを外来で注射することです。それだけで、患者さんの病気は一生再発しない。
遺伝子の研究者が描く未来の治療というのは、こんなものです。
内科医の仕事は無くなります。
遺伝子のえらい先生が病院に講演に来てくださったとき、こんな話を聞かされた。病院スタッフ一同、特に内科は憤り、「遺伝子治療がどんなに普及しようが、奴の作った遺伝子だけは絶対に使わねえ」と誓い合ったのを覚えている。

研究者が何かの研究を続けて生活していくにはお金が必要だ。

日本の場合、研究者のためにお金を出すのは国だ。さまざまな分野の研究者は、自分たちの研究している学問が成就したらどんな未来が待っているのか、毎年のように夢にあふれたプレゼンテーションを行っては、科研費の獲得にいそしむ。

医者も研究活動をする。医学研究にもいろいろな分野がある中で、そのビッグマウスぶりでは遺伝子の研究者の右に出る者はいない。相手にする患者のパイは人類全体。研究が成就すれば、外傷以外の病気はこの世から無くなる。脳梗塞心筋梗塞の画期的な治療の研究など小さい小さい。

研究者の価値を決めるのは、その人の持っている夢の大きさと確実さだ。夢を語れない人のところには人もお金も集まらない。遺伝子治療は、少なくともその夢の大きさだけはどんな研究分野にも遅れをとることはない。

一方でこんな話もある。

遺伝子治療を成功させるには、病気の原因遺伝子を特定しただけではぜんぜん足らない。実際に生体で遺伝子を発現させるということは、それが極めて正しい場所、正しいタイミングでなされないと何の意味もない。現在の遺伝子の研究者は、その部分には目をつぶって、ひたすら遺伝子の発見のみに意識を集中している。

遺伝子を正しい場所、正しい時間にも発現させる「乗り物」にあたるものをどうやって作ればいいのか、誰も分からない。どの研究者も「いつか誰かが作ってくれるだろう」と目をそむけながら、とりあえず自分にできる、すぐに業績になる研究テーマにいそしんでいる。

遺伝子の乗り物を作るのは難しいらしい。

この難しさは、「新幹線のスピードを今の10倍にしよう」などという、お金さえ無尽蔵にかければ何とかなりそうなものとは違い、「タイムマシンを作ろう」という行為に近いという。必要な遺伝子をどうやって標的細胞まで運び、それをどうやって正確なタイミングで発現させるのか、まだその構想も十分に作られていないらしい。

遺伝子治療の現状は、タイムマシンが実現したらどういったことができるのか、業務のモデルをあれこれ考えて将来に備えているようなもので、肝心のタイムマシンの製作に取り組んでいる研究者は少ない(らしい)。

バラ色の未来を掲げて失敗に終わったプロジェクトは、他の分野にはいくらでもある。シグマ計画、第5世代コンピュータ。核融合などももしかしたらそうなるのかもしれない。

「失敗」と名指しされたプロジェクトをやっていた人には反論があるかもしれない。そのプロジェクトからは様々な技術が生まれた、結果として当初の目的は果たせなかったが、人類の進歩には貢献でき、予算をかけただけの成果はたしかにあった、など。それでも当初の「夢」は実現されることは無く、会話するコンピュータ、無尽蔵に使える核融合エネルギーなどはいまだに形が見えてこない。

遺伝子治療の対象である遺伝子を使った診断技術自体は、すでに実用の領域に入っている。特定の病気に対しては、「治療」も行われるようになっている。それでもまだ、本来の遺伝子治療の目標である「注射一本で全ての治療は完治」のモデルは一向に生まれてこない。

遺伝子治療関係の自分の知識は、3年ぐらい前で止まってしまっている。実際にラボに携わった経験も無く、全ては研究していた人からの伝聞のみ。それでも実際にゲノムを触っている大学院生を、上のような話をしてからかっても、「それは全くの見当外れですよ」といった反論は返ってこない。

遺伝子治療の未来はあまり明るくないのか?
単に自分が全く相手にされていないだけなのだろうか?