外来患者の見分けかた

久しぶりに会った友人から、「お前、誰だっけ?」と言われると非常に凹む。

相手の顔を覚えるのはコミュニケーションの基本。相手に顔を覚えてもらえないのは自分が相手にとって重要でないから。

顔を覚えてもらえない外来患者さんは、主治医にとって「重要な」人間になろうと一生懸命話し、外来の流れを遅くする。忙しい外来、一生懸命しゃべる元気があるなら、早く薬を受け取って次の患者さんに代わって欲しい。主治医のこうした思いは簡単に見透かされ、その人は二度と外来に来なくなる。

医師の外来患者数は多い。10年目の内科の医者で普通は200人ぐらい。20年選手の部長クラスになると、外来で受け持つ患者数は1000人近くになる(以前に900人まで数えて大体2/3ぐらいだったと聞いたことがある)。

人間の記憶にはかぎりがある。幸い医者にはカルテがあるので、その人が「どんな」人なのか、カルテに書いておけばその場で思い出すことができる。その人が「どんな」人なのか、それを形容する本質、患者さんのことを思い出すのにもっとも有用な情報とは、何だろうか。

患者さんその人をその人たらしめているのは、その病名や病気の経過、病態などではない。

外来でカルテを見てから患者さんを思い出す際、医者はまずカルテの病名と処方を確認し、その患者さんのステレオタイプを作る。

「20年の経過の心不全」「34歳の喫煙歴のある喘息」。同じような患者さんは外来患者さんの中にはたくさんいる。まだそこには「○○さん」という名前は入らず、顔の無いマネキンのような虚像が頭の中に出来ているにすぎない。

その虚像を実像にし、ステレオタイプを○○さんという血の通った人間に変換しているのは、カルテの端々に記載された細部の情報だ。

「息子さんが最近怪我をした」
「このところ犬の調子が悪くて心配」
「家の塗り替えが4月にようやく終わった」
「自宅が山間部なので、昨日の雨はすごかった」
患者さんを実体化するのに大切な情報は、こうした一見些細な日常生活の断片だ。

物事の本質は細部に宿る。ベテランの医師は、こうした一見病気とは関係のない、どうでもいい事柄をカルテに記載し、患者さんを思い出す。

人間である患者さんを、病名と経過だけの顔のない人形として扱っても、コミュニケーションはうまくいかない。患者さんの会話からこぼれ落ちた、こうした細かい事柄をカルテに記載していくことで、目の前の患者さんその人の人となりが記録でき、患者さんとの会話を円滑に行うことができる。

ベテランのスタッフドクターは忙しいので、カルテの記載はしばしば簡略になる。病気に関する事項を省き、こうした細部だけを記載されたカルテは引継ぎの時に困るのだが、同じ病院で働いたレジデントであれば、処方内容さえわかれば結構何とかなる。

そのスタッフ全てがいなくなった後は、もう最悪だが…。