怒りの季節のこと

去年の卒業生には、まだ少し早いかもしれない。

2年目を終わって救急外来へ。救急の業務にもなれ、忙しい外来の中で患者さんをさばいていく知恵も身についた頃。卒業したばかりの時には針一つ刺すのにもおどおどしていた研修医も、いつのまにか救急外来業務に欠かせない役割を果たしはじめる。

救急外来には患者が押し寄せる。具合の悪い人、時間外の周囲の開業医からの紹介患者。

最初は患者と対面するだけで恐ろしかった記憶も薄れ、CPRで運び込まれる患者にも慣れてくる。なれた人間は増長する。苦しんでいる患者さん、何とか入院ベッドにねじ込もうとする開業医の紹介状が、まるで自分にへつらっているようにみえてくる。

本当は、近所の先生方や患者さんが期待しているのは、救急外来の医師という肩書きにであって、2年目の医者自体にではなく、救急の医師が偉いのは、救急外来で何年も生き残っていることであって、潰れずにそこで生き延びるのと、ただそこにいるのとでは全然ちがうのだが、まだそういったことに気が回るには圧倒的に経験値が足りなかった。

救急の現場に出てみて、(本当は誤解なのだが)研修医は自分が急に力がついたことに気が付く。いっしょに働いている救急のスタッフドクターと、自分との距離はそんなに離れていないように見える。忙しい中、黙って患者を受けるスタッフ、周辺の病院からの理不尽(に思える)な転院要請を受けるスタッフにいらだつ。増長した研修医は、患者を連れてきた救急隊員にあたるようになる。

「何でこんな人つれてきたの?」
「車内でのバイタル、取った?」
「ちゃんと事前に情報入れてくれないと、次から取らないよ!」
自分の不出来を棚に上げ、父親ほども年の離れた救急隊員にタメ口。向こうは大人だし、仕事だから「すいませんねえ」などと流してくれる。研修医はますます調子に乗る。

多分ものすごく嫌なやつであったであろう、当時の自分が謙虚さを取り戻したのは、救急隊員との飲み会に誘われてから。

当時、当院では救急隊との懇親会と称した飲み会が定期的にあったのだが、もともとが軍隊組織の消防の人たちの酒の強さは医者のそれとは次元が違う。「先生、強いですねえ」などとおだてられ、日本酒の一気飲み合戦。向こうは全く素面同然。自分はコップ数杯目にして、すでに手遅れ。

自分の病院へ担ぎ込まれたときには、もう意識も朦朧。

白衣を脱いだ医者というのはとても弱い。フィジカルの強い人たちには、たとえ白衣を着ていても強気にでてはならない。「すいません、もう調子こきません」などと何かに謝ろうとしても、口から出るのは吐物ばかり。

これ以後、二度と救急隊員に生意気な口をきこうなどとは思わなくなった。

人間、飲み会で潰れるたびに少しずつ謙虚さを取り戻す。

あれ程届かなかった当時のスタッフとの距離は、今度こそもうすぐそこにみえそうなのだが、いまだに自滅型の飲みを止められない。