真空の生む大きな力

##平等で無気力な集団
「市民」とか「みんな」とか、大人数の集団に何かを訴えて、力をかしてもらうのは難しい。

大人数の集団に何かを訴えるなんて、空気に突っ込んでいくみたいなものだ。
何かをやろうとして助けを求めたところで、みんなよけるだけで何も変わらない。

体育会とか企業とか、統率のとれている集団ならば、「頭」にあたる人がいる。
何かを訴えたければ、その人に訴えると効率がいい。

人が持っている力や人望、機会や運命といったものは、本来が不平等に分配されているものだ。

人は集まって組織を作る。その中には頭になる人もいれば、筋肉や皮膚になる人もいる。
生物が物を食べるとき、「今食べたものは皮膚にしよう」「これは血管に」などといったことは考えない。
組織の中での人の役割分担というものも、誰かが考えたり選挙で決めたりするものではなくて、
本来は自然発生的に勝手に決まる。

人の自然な役割分担を否定した組織というのは、組織が生み出す力そのものを否定してしまう。

学校組織。大学。公務員。市民団体。「**平等**」という、
組織にとっては極めて病的な考えかたが支配する
集団にとりこまれた人というのは、これが同じヒトかと思うぐらいに効率が悪くなる。

チームというのは本来、単なる個人の集団以上に強い力と可能性を持っているのだけれど、
「平等」という腐った概念に毒されたチームなら、個人の集団のほうがよっぽどましだ。

公務員の人に働いてもらおうと思ったら、言葉を使ってその人を組織から
切り離すことだ。