剣と魔法と「空気読め」

「百歩神拳」を放てる男がいる。

学部の合気道部の主将だった彼が「ハッ」と気をはなつと、
道場中の下級生が魔法のように吹き飛ぶ。飲み会のときなど、面白いように決まる。

残念ながら、空気の読めない一般人には効果がない。

##空気で成り立つ物語
魔法使いが当たり前のように存在する世界、剣と魔法のファンタジー小説
登場人物というのは、みんな「空気を読む」のが上手だ。

魔法とは、「場」の力を利用する。

場の持つ力とは、その世界のみんなの共有する空気の力。
「マナ」とか「根源の力」とか、物語によって表現はいろいろ。
魔法使いは、様々な呪文を駆使してそうした力を操つる。

ファンタジー世界の住人というのは、みんなが魔法使いがやろうとしている
ことを読む。

魔法使いが誰かに呪いをかければ、そのまわりの人は気をきかせる。

>「お前、呪いかけられたんだから、さっさと死ねよ…」

こうして呪いは成就し、場の力は保たれる。

ファンタジーは、「空気を読めるみんな」のおかげで成立している。

##準備が必要な近大魔術
場の力なんかない現代社会では、魔術を行使するのは難しい。

救急外来に、「**ルシファーを呼び出したはいいけれど、去ってくれない**」という主訴の人が
運ばれてきたことがある。

「今彼はどこにいますか?」と尋ねると、「ほら、そこに…」と自分の方を指差された。
けれど、うちの外来の「場」には、ルシファーを実体化させるだけの力はなかった。

体育会の主将は、下級生を集め、みんなで飲んで騒ぐ。

そうしてできた「空気の力」は、その場の人を吹き飛ばすぐらいの力を持つようになる。

現代社会の魔術師が力を行使しようと思ったら、そのための「場」を作る努力は欠かせない。

魔術というのは、普通の人が科学と論理とで行うものを、もっと別の方法論で行おうとする術理だ。

代表的な魔道書「ソロモンの鍵」の中に記載されている悪魔を召還する方法「黒い牝鶏」というのは、
こんなやりかたをする。

1. 一度も卵を産んだ事のない黒い牝鳥をもって、十字路に立つ。
2. この十字路で深夜、牝鳥を2つに引き裂いて、「エロヒム、エッサイム、わが呼び声を聞け」とラテン語で唱える。
3. この際、術者は東に向かって膝まずき、糸杉の枝を手に持つ。

魔術の流れの中で大切なことは、「誰かが呪われた」ということが周囲の人々に噂として伝わること。

>「○○が××を呪ったらしいよ…」

こういう噂が一度流れれば、呪われた相手の不幸はすべて「呪いのせい」になる。

石で転ぼうが、病気になろうが、全て呪いのせい。
そうしたものが現実にあろうがなかろうが、大事なのは「きっと呪いだ」という空気が
周囲の人々に共有されることだ。

日本に伝わる「丑の刻参り」のやりかたや、「八田坊の釘」などといった呪いのやりかたというのも、
方法論は同じ。「隠れてやれ」と伝えられながら、そのやりかたは「誰かにみられること」を前提にしている。

魔道書が提供する方法論というのは、そのまま地域の「空気」を操る方法論として読み解ける。

##人事を尽くして天命を待つ
科学と論理の支配する現代社会。空気なんか使えなくても、もっと簡単で効率的な方法はいくらでもある。

ファンタジー世界で対立する剣と魔法。
「目に見える力」と、「空気の力」。

現代社会は、剣の社会だ。目に見えない空気の力を行使する術というのはないわけじゃないけれど、
そんな物を用いなくても、ほとんどのことは目に見える力だけで達成できる。

夜中に人を呪うようなまねをしなくても、腕のいい弁護士の人に相談して訴訟をおこせば、
大抵の人間には回復不能なダメージを与えられる。魔術や呪いの出番はない。

ところが、社会を構成する人たちが各々持っている「力」の正当性が大体等しくて、
お互いを調停する「権威」や「法律」なんていうものもない場所では、まだまだ「空気」は役に立つ。

魔術の術理というものは、人の集団の中で生きてくる。

目に見えない力を使う努力。見えないだけに、そんなものを否定する人も多いし、
実際使うのは難しい。それでもそれを使える人は実際いるし、使った分だけの効果というものもある。

いろいろやって、「後はもう神様任せ」という状況は、病院ではそんなに珍しくない。

天命を待つ前に、「本当に人事を尽したのか?」という自問自答は、なかなか止められない。