組織崩壊までの4つの段階

病院をはじめとする組織、あるいは研修医制度などの何らかの目的をもった制度が誕生してから、それが崩壊するまでの間には、その求心力の根源が4段階に変化する。

すべての組織が同じ段階からスタートするわけではない。しかし、すべての組織は崩壊に近づくにつれて、同じような段階を経ていく。組織が壊れていくのは一瞬だが、組織崩壊の過程を元に戻すには大変な苦労がいる。

夢の時代

やる気のあるリーダーが、自分の実現したい夢を周囲に語り、それに賛同した人たちが集まる段階。同じことを考えている競争者は少なく、またリーダーの夢を心待ちにしている人は多い。

国境なき医師団などの団体の黎明期はそのようなもので、医師のいない地域での医療行為は神聖視され、またそれに関わる人々は周囲から尊敬される。

仕事に対する報酬は「ボランティア」同然、非常にきつい仕事内容は毎日が学園祭前夜とも形容されるが、その熱狂もまた学園祭前夜のそれ。忙しくてきつい仕事に文句をいうスタッフはおらず、チームのモラルは高い。

名誉の時代

リーダーの「夢」がある程度実現し、仕事がルーチン化すると組織は安定期に入る。

初期からのメンバーの中にはリーダーの夢に飽きてくる者も出るが、この間に組織が築き上げた名声は気分がいいので、そのまま居着いている人がほとんどである。

一度名声が築かれた組織には、新しい人が集まってくる。組織は大きくなり、また初期のリーダーとは別の人、「専門家」を自称する人があれこれ口を出し始める。彼らは組織の名声に自分の名前を刻もうと画策し、ときに初期のメンバーを批判する。

「非専門家」と名指しされた初期メンバーの中には組織を離れるものが出始め、組織の力や名声は徐々に衰えていく。

この段階の末期になると、「訴訟されると人生が終わる」「裏切るとこの組織から放り出すぞ」といった、恐怖を用いることで組織は求心力を保とうとする。

存在しているだけで名誉であった組織から放り出される恐怖が、モチベーションになり得なくなったとき、組織は次の段階に進む。

お金の時代

競合する組織がいくつも出来上がり、その組織にいつづける名誉が薄れてしまうと、人はそこで働く意義を働くことにより得られるお金に求める。

この段階になると、団体の創世期からのメンバーが別の団体を作っていたりして、競合する組織がいくつも出来ている。自分の組織を他からの視点で眺めることができるようになり、周囲からの評判の悪い部分が目に付くようになる。


患者からの感謝なし。家族からの評価なし。世間の評価は最悪でもはや賤業。
訴訟のリスクを常に抱えていて裁判官の印象も最悪。
こんな状態で金以外の何を信用しろと?

組織のモラルは低下する。トップは自己保身に走るようになり、それに幻滅した部下は他のもっと見返りの大きい組織へと移っていく。

組織やチーム全体の志気が低下すると、そこから出て行こうとするのは最も優秀な人たちである。彼らが一番不満を抱えていると同時に、転職できる可能性も高いからである。優秀でない人たちは、給与に不満はあっても、今の組織を辞めると行き先がないことを自覚している。

優秀な人材が逃げ出せば、組織全体としての生産性は低下する。生産性が低下すれば、残った人たちの仕事は増え、時間当たりの報酬は減少する。ますます労働条件は悪化し、職業としての魅力がなくなっていく。


高邁な精神などDQN患者の前では消し飛ぶ
こんな人を救うために医者になったのかと
しかしそれでも仕事 それが仕事

あくせく働くことが馬鹿らしく思える頃、お金すらもモチベーションたり得なくなる。

余暇の時代

モチベーションのすべては「定時に帰ること」「余計な仕事を増やさないこと」にささげられる。

この段階になってしまうともう黒字を作ってくれる人はごく小数になってしまう。経営が成り立つことは期待できず、組織は崩壊する。

一方で潰れる心配のない団体、地方の公務員、郵便局員などの組織は最初からこの段階から組織が始まっている。こうした集団は余暇の多さが立派なモチベーションたりうるため、組織はほとんど永遠に近い寿命を持つことになる。

現在の研修制度

現在の研修医養成制度の悲しいところは、余暇の段階にある組織のえらい人たちが「夢」を掲げて、研修医に安価な労働力になってくれることを期待している部分である。

夢を見たことのない人たちに、夢を語る資格などない。

まだ、個々の病院のリーダーの先生方には夢を捨てていない人は大勢いる。そうした人たちの持つ力を吸い取る形で、研修医制度に何の夢も持っていない人たちが形だけの「夢」を語り、制度自体を腐らせていく。

組織が腐って場所が空けば、そのニッチに新しい制度や組織が生まれる。そうなるのはきっと、そう遠くないはずだ。

こんなときだからこそ、医師の自治組織としての大学病院の意義というものがもっと見直されてもいいはずなのだが。いまは大学病院に残る研修医は馬鹿者扱いされているみたいだが、それでも自分は大学という組織の底力みたいなものを信じたい。