原始的な言語が、だんだん複雑に進歩してきた

そういう考えかたは言語学者の妄想であって、魔術師の知っている真理とは違う。

言葉も堕落する。神代に使われていた「根源の言葉」から、現在使われている言葉へ。

もともと一つだった根源の言葉は、バベルの時代に乱された。
言葉はいくつもの系統に分かれて、巨大な系統樹を作り出した。

時代は進んだ。秘儀の力は失われ、
言葉をしゃべる人が増えて、言葉は単なる伝達手段になった。

失われた神代の言葉を再現しようとする試みは、古くから行われている。

幻視や降霊を通じて、古代の人々に接触してみたり、ルーン文字神代文字といった、
使われなくなった古い言語を用いてみたり。

業界では様々な努力が続けられてきたけれど、まだ試みは成功していない。

系統を遡る試みとは別に、昔から注目されていたのが「言葉が見える」人々の存在。

言葉が視覚に反映される**共感覚者**というのは、聞こえたものがそのまま見える。

>共感覚者とは、神代の能力を現代に受け継いだ人々。
>神代言語とは、古代の共感覚者が幻視した文字のことである。

共感覚者の人に様々な言葉を聞いてもらい、見えたものを記号にした「根本文字」が作られ、
魔法陣に応用されたこともあったらしいが、神の召還に成功したという話は伝わっていない。

##「黄色い声」は何故黄色いのか
共感覚とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの感覚が混ざり合う状態で、
一つの感覚刺激によって、他の感覚が引き起こされる。

音の刺激によって色覚が生じる「色聴」が代表的だが、様々な組み合わせが報告されている。

共感覚という現象は古くから知られていて、
昔は脳の機能異常から生じる現象であると
考えられていた。

研究が進められるにつれ、話が変わってくる。

この感覚を持つ人というのは脳に異常な興奮を生じているというよりは、
感覚系からの入力の一部に**抑制をかけられない**状態であることが分かってきた。

共感覚という現象は、脳の皮質の下にある海馬を中心に、誰にでも起こっている神経プロセスだが、
通常は脳の最終処理を行う器官である辺縁系を通過すると、意識から失われてしまう。

辺縁系レベルまでは、全ての人々が共感覚を感覚している。共感覚者とそうでない人との
違いというのは、「その感覚に気がつけるかどうか」、その部分らしい。

現在では、共感覚者は、異常な人物であるというよりは、
原初的な神経プロセスをありのままに感じてしまう人たちであり、
「認知の化石」と言えると結論されている。

共感覚の名残のようなものは、多くの人に残っている。

「黄色い声」は、誰が聞いても「黄色く」聞こえる。

##共感覚を否定する「意識」
音に色がついて見える現象というのは、子供ではしばしば認められる現象だが、
その多くは成長とともに失われてしまう。

人間の様々な感覚というのは、辺縁系のレベルまでは「共感覚」の形で脳が処理する。
ところが、その感覚をそのまま認識することを、意識が邪魔をする。

共感覚を持っていた古代の人々が感覚していたのは、
音が視覚に反映されるのが当たり前だった世界。

音を聞いて、そこから文字を連想するのは必然であって、目的は必要なかった。

時代の変化とともに、人間の意識は何故か、その世界を「**非常識である**」と認識した。

視覚と聴覚の混在する世界は、意識にとっては存在を許されないものになり、
共感覚を持った人はごくまれにしか存在しなくなってしまった。

##昔はそこに神様がいた
意識という不恰好な代用品がとって代わる前には、
全ての人の頭の中には神様がいた。

古代、人々は自分の感覚した世界を、「**神の囁く言葉**」として認識していた。

すでに文明と呼べるものをもっていたにもかかわらず、
大昔の人々の頭の中には、「自意識」という概念はなかったらしい。