狭い医局の教育効果

以前勤めていた病院の医局には、部屋の隅に汚いソファーがあった。

同じソファーセットは15年以上も使われ、買ったばかりの頃は黒い皮の立派なものだったそうだが、自分が研修医として入った頃はもう汚くなっていた。皮もぼろぼろになり、穴があいたら外科の先生がゴアテックスや人工血管で適当にパッチを当てるものだから、表面は白黒のツギハギ模様になり、異様な外観を呈していた。

当時の病院の通常業務は、だいたい夜10時ぐらいに終了する。その頃になると各科のスタッフがソファーの周りに集まり、夜遅くまでだべっているのが常だった。

深夜の救急外来業務は1年生の仕事だったが、救急外来でどうしても分からない患者が来たときは、一切の資料を持って医局に駆け込み、全科のスタッフドクターが集合している中でコンサルテーションを行う。

病院内の主だった科のスタッフは夜には大体医局にそろっており、皆仕事明けで時間があることも手伝って、レジデントは準備不足のプレゼンテーションを散々突っ込まれるのだが、夜遅くまで全科のスタッフに教えを乞うことができるのは本当にありがたかった。

まだまだ病院が野戦病院と化していた時代でスタッフも少なく、カンファレンスのような形でのティーチングの機会も決して多くはなかったが、この頃に吸収させてもらった実戦的な知識は今でも自分の役に立っている。

そのうち病院が増築され、レジデントはレジデントの、スタッフはスタッフの専用の医局が準備されるようになり、ソファーセットも買い換えられた。

救急外来も整備され、医局との距離は遠くなり、自分たちが怒られるほうから教育するほうに回るようになった頃には、夜中の医局のすみでレジデントが怒られる声も聞こえなくなったが、同時に何か大切なものが下級生に伝えられなくなった。

それはおそらく、忙しい業務の中で事故を起こさずに生き延びていくための知識のようなものなのだろうが、うまく言葉にまとめられない。自分たちが教え込まれてきた知識を何とか下級生に伝えようと努力はしたのだが、大学の講義のような型式のカンファレンスでは何かが決定的に伝えられない。

レジデントが何か問題意識をもった際、教科書的なまとまった知識ではなく、自分たちが積み重ねてきた症例の中で、こうしたら上手くいった、こう考えたら失敗したという経験を、その場に応じて伝えられればいいのだろうが、これをマニュアルの型式にまとめるのは難しい。

研修医の生活環境は良いにこしたことはないのだろうけれど、教育のことだけを考えるならば、以前の汚い医局、病院の建物のちょうど中心、ドアすらない狭い空間にソファーセットとスタッフ用の机のみを押し込んだあの空間の教育効果は絶大だった。

今その頃に戻ろうと声をかけても、みんな反対するだろうけれど。